お知らせ

ロダンからの最新情報をお届けします。
  • 忘年会シーズン突入!!

    年の瀬も迫ってきました

    今年もままはーとさんの忘年会を皮切りにこのシーズンがスタート。

     

    台風被害を受け大変なご苦労もあったはずですが、何事も+に変えていける力を持っている方達だなと改めて。
    終始明るく、楽しく色んな職種の方々との語らいも。
    益々ままはーとの進化、目が話せません‼️

    また、クリスマスシーズンでもありますね。
    いつも訪問カットでお世話になっている「光の家」さん。

     

    クリスマスパーティーでのボランティアピンチヒッターとして声をかけて頂き参加。

    お役に立てたかわかりませんが、時間を共有させて頂き貴重な経験の場となりました。

    普段は短時間でしか関わりのないスタッフさん、利用者さん、そして、御家族さんなど。いつもとは見える光景ややりとりが勿論別世界。
    新鮮でもあり、大変勉強になりました。

    とある日。これまた珍しい方との3ショット♥️

    種まき保育園の園長‼️
    山野辺さん&私の姉でもあり双子の相方姉&妹、相方の私。笑っ

     

    生き方が違うと全てが?変わるもんですね。ここ10年、双子と伝えるだけでビックリされます。笑っ
    むしろ、おいしいネタですが。。笑っ

    今回、復興塾に入塾し色々模索中の相方。
    そして、復興塾先輩である山野辺さん👍
    色々アドバイスを頂けるのは有難いことですね。

    写真。。。笑っ
    みんなで楽しいことを妄想中。。。とでも題しましょうか?笑っ
    またお伺い致します。
    お邪魔しました♥️
    そんなこんなで、忙しくも楽しみながら年の瀬を迎えていこうと思います🎵

    今週からまたノンストップで❗☺️駆け抜けます✨
    寒くなりましたが、皆さんも体調に気をつけてお過ごしください‼️

  • 湯の街 復興学園祭

     

    秋晴れの週末。

    湯本駅前は未来を担う若者やお子ちゃま連れでにぎわっておりました。

    福島復興塾で繋がった縁、田子さんのご紹介で企業ブースの一角にロダンバスを出店させて頂きました。

    となりには、モーモーガーデンの谷さんまで!(びっくり)笑っ

    山野辺さんも小さなお客様と共日に♥️

     

    出会いだけでなく、沢山の繋がりや再会も♥️

     

     

    人気のジェルネイルブース💅

     

    また、ご予約頂いてました、障害という素晴らしい個性をもつ娘さん。
    お母さんからのバトンタッチです。
    初めてお店の椅子に座りカットにチャレンジ。

     

     

    ご本人よりもお母さんやお父さんの方が緊張していたことでしょう。

    娘ちゃんのペースは大事にしながらあっという間にボブスタイルに終了です☺️
    頑張ったね。ありがとう。

    また、ママハートNo.2加藤さんファミリーもわざわざ来店♥️

     


    娘ちゃんからのツーブロック入刀体験😁バッチリ🎵ありがとう。

     

    はたまた、バリカンやすきばさみ体験にはまる兄妹。笑っ
    中々筋がイー‼️👍笑っ

    ロダンバス下では。。。
    フリマとして商売の勉強中、子ども商店。

    値引き交渉から、お買い上げまでいい経験になった様です。お小遣い一気に増えたかな?笑っ

    スタッフさんの娘さんがチーフマネージャー、サブマネージャー‼️子ども店長よりも大活躍。朝から、託児から何から何までありがとう。

    ロダンバス入り口には急遽募金箱も設置。
    「募金してもよいですか?」
    明らかに小学生の男子。
    素晴らしい、凄いな。ありがとう。

    あっという間に1日が終了しました。

    「商売は笑売」
    貴重な経験の場を提供下さり感謝感謝です。

    改めて‼️
    先代から受け継がれた髪を切るだけではないキレイと笑顔、真心の提供。

    ロダンの特徴とも言えるお客様にあった選択肢の一つが移動式店舗。

    またまた可能性を感じた時間となりました。

  • 湧き出るパワー!!

     

    10月はいろんな意味で心が落ち着かない週末でした。。。

    今日から11月。

    急にぐっと冷えましたが体調等はいかがでしょうか?

     

     

    「こんにちはーお疲れ様です。」
    自分たちも大変なのに、栄養ドリンク片手にわざわざ顔出しに脚を運んでくれた「どりーむず」笠間代表。

     

    なんて、人なんだろう。。。
    でも前向きな姿に勇気を頂きました。

    また、水害片付け合間にカット来店下さった常連の御客様。

    片付け隊に行かせて頂いた当初よりも少し痩せた気がしました。

    父の友人でもあります。

    浸水してから一夜明けるまでの事、ボランティアに来てくれた方々のこと、色んな感情が沸き上がったのでしょう。。男泣きをしながら話す姿。
    ハサミを持つ母の手も幾度も止まりながら。。。

    ご夫婦で生活再建を誓う後ろ姿は何とも言えない気持ちが込み上げました。

    そんな最中、嬉しい連絡をくれたお客様も。

    「無事に産まれました」
    新しい命が誕生していました。

    産前、お子様の訪問カットからの自然な流れで産後家事代行等のご利用へ。

    第三子の誕生は色んな意味で忘れられない記念日となったことだと思います。

     

     

    上のお子さんがかえってくる前に少しでもゆっくりして頂きたい。。。

    寝不足が続くと産後は心のバランスも時に崩れたりしますよね。

    「よかった〰️パパの負担も軽減されたぁ〰️」

    そう気遣う奥さん。
    気軽に頼れる場所、大事です☺️

    こんなに小さかったんだなぁ。。。
    赤ちゃんの温もりはあの頃の自分、我が子と重ね合わせながら大切な気持ちを思い出させてくれました。

    床上げまでもうしばらく。

    絶対ゆっくりもしていられないですが、短期集中で休んでくださいね。

    ほっこりする時間をありがとうございました。

    令和元年のこの時を選んで産まれてくれた大切な命。

    改めて、おめでとう。

  • 第3回目 『親の仕事を継ぐということ。二代目が思うこと』

     

     

    「父親に万が一のことがあった場合でも、従業員さんにきちんと給料を支払えるように、自分が会社の代表になる!」

     

     

    病で倒れた父親に代わり、明夫さんは自分が会社の代表になる手続きをしました。

     

     

     

    戻ってくるしかないんだな」一気に考えを変えた明夫さんの決意の裏には、 理美容室ロダンの危機がありました。

     

     

    運営している店舗の一つ、共立理容室の1年後の閉店が決定していたからです。家族だけではなく、従業員の生活を守るために家業を継ぐことを決めた明夫さんでしたが、突然のことだったため、継いだあとの1年間は苦労の連続でした。 「たとえば日々の売り上げ。会社の経理事情については『店の帳簿を見せて』と何年か前から母親に言っていました。でも、はっきり教えてくれなかった。これは痛かったですね」と明夫さん。

     

     

    「(明夫さんが働いている)東京と、いわきの田舎では商売のやり方が違う。当然客単価も違う。東京で一人頑張っている息子に、店の経理事情を見せることにためらいがあった」と祐子さんは話します。「だって、数字を見せたら、明夫ががっかりして、絶対いわきに帰ってきたくないと思うでしょう」と。

     

    親として、経営者としての母親の気持ちもわからないではない。しかし店の経営が黒字でも赤字でも、現状を知ることでこれからの経営を考えられる。そのことが大切なのだと明夫さんは強調します。「何もわからない状態で事業継承された瞬間、継いだ立場の人間は、ものすごい大変な思いをするわけです」と。

     

     

    親たちが築いてきた人間関係の継承も大切です。

     

     

     

     

     

     

     

     

    父、英治さんは地域活動や理容業界を通して、多くの人とおつきあいをしてきました。仕事をする上で大切なのは人とのつながりです。ここを継承できずにつながりが途切れるのは、あまりにももったいないと明夫さんは考えます。

     

    そしてもう一つ。事業継承にあたって、一番大切かもしれないと思っていることを明夫さんは語ります。

     

     

    事業を継承する者は、事業に対する創業者の思いをきちんと受けとめること。

     

     

    つまり「なぜこの事業を始めたのか」「どういう思いで継続させていったのか」ということです。ただ伝えるだけではなく、事業の変遷を文章にして残しておくと、継ぐ人は助かると明夫さんは言います。鈴木家の場合、英治さんが亡くなる少し前にロダンストーリーを書き残してくれました。それは明夫さんの大切な宝物になっているそうです。 時代の変化と共に、変わっていくことはたくさんあります。創業者が築いてきた理念や行動の中から「自分が継承したい」部分をちゃんと持つことが承継者にとって大切なこと。

     

     

    継がせる側と継ぐ側が冷静に話し合いを持てればいいけれど

     

     

    「難しいときには、第三者が間に入り、両方のクッション役を担ってほしい」と明夫さんは実感を込めて語ります。

     

     

    「親は子どもに商売のすべてを語らないわけですよ。自分の苦労話はするかもしれないけれど、大事なものを全部伝えていないところはあるかもしれない。仕事って奥が深くて、とてもひと言では語りつくせないものですよ」と祐子さん。

     

     

    「だからこそ、創業者の話をまとめてもらう人が必要だと思います」と明夫さん。

     

     

    父のあとを継ぎ「有限会社クリエイティブ・ロダン」代表取締役社長になった鈴木明夫さんが、まず取りかかったのは 12 年目に入った訪問理美容のてこ入れでした。

     

    姉、光子さんと共に、いわき市内外の介護福祉施設約 200 カ所を手当たり次第訪問。必死の営業活動を繰り広げました。なかなか手応えを感じられずにいましたが、それでも徐々に利用者が増えていきました。 営業活動と並行して取り組んだのが「移動式店舗を手に入れたい」という父の遺志を受け継ぐことです

     

    明夫さんはインターネット上で売り出されていた移動店舗用の2トントラックを見つけ、売り主に会いに行きます。偶然にもトラックのオーナーが東日本大震災の時、ボランティアでいわき市を訪問したことがわかり、これもご縁に違いないと購入を決意。また車両の内装・外装の費用をまかなうためにクラウドファンディングで資金を募りました。髪を切りたくても様々な事情により店舗まで行けない。「本当に困っている人たちの元へ、理美容室に行くのと変わらないサービスを提供したい」という明夫さんの呼びかけに多くの人が共感し、目標の出資額を達成。

     

    平成 30 年(2018 年) 12 月より移動式店舗「どこでもロダン」としてサービスを開始しました。

     

     

     

    一方、姉、光子さんは、出産後なかなか美容室に行けないママのための訪問理美容サービスを始めます。「産前産後ママヘルパー」の資格も取得。髪を切るだけではなくけではなく、自らの育児経験を織りまぜながら、ママたちの育児サポートにも携わるようになりました。

     

     

    移動式店舗は父、英治さんの夢でした。父の夢を形にした明夫さんには、明夫さん自身の夢もあります。

     

     

    人材育成のためのアカデミーサロンの設立です。技術はあるのに働く場がなくなったシニア理美容師を、指導員として再雇用し、実践力のある理美容師を早く育てる仕組み作りです。この構想は修業時代、「見て覚えろ」式の教え方に慣れず、技術がなかなか身につかなかった明夫さんの苦い経験から生まれました。「後進を育てなければ業界の未来はない」と明夫さんは考えます。

     

     

     

     

     

     

    理美容を通して社会に貢献したい」(有)クリエイティブ・ロダン創業者、鈴木英治さんの精神は、このように形を変えて次世代に受け継がれています。

     

     

    祐子さんは言います。「まさか夫が、こんなに早く他界するとは夢にも思いませんでした。でもね。子が親から『(店を)  受け継ぐ』という決意、そして『(店を)   継がなければならない』という宿命?それが人間としての成長であり、生きていく喜びを得る場と捉えて、進むしかないのかなと思うんです。

     

     

     

    商売は『笑売

     

     

     

    笑顔は副作用のない良薬でしょう。だから笑顔が一番!息子たちがロダンを継いでくれたことに改めて感謝です」と笑顔で語る祐子さんでした。

     

     

     

     

     

  • 第2回目 『長男:明夫さんの思い 。 突然の父の病。その最中で決めた明夫さんの覚悟とは?』

     

     

    鈴木家の長男明夫さんは、昭和 61 年(1986 年) 3 月に生まれました。

     

     

    待望の男子の誕生に母、祐子さんは我が子が可愛くて、明夫さんのことを「石膏で固めておきたい」と思ったそうです。父、英治さんは「長男は鈴木家の跡取り」という考えが強く、小さい頃はいろいろな場所に明夫さんを連れていったとかさん自身も漠然と「自分は店の仕事を継ぐだろうな」と思っていました。

     

     

    一方で、いつも店が忙しく家族が一緒に食事をとれなかったこと。地域や理美容業界の役員の仕事で店を空けがちな父。不在になりがちな父の分まで店の仕事を頑張ってきた母の姿を見続けてきたことなど、人の世話はたくさんするのに、家族のことは一切母親任せだった父を見て育った明夫さんには、店の仕事に魅力を見いだすことができませんでした。

     

     

    店の仕事をどうしようかな」といろいろ考えた時期がありました。

     

     

    やがて高校3年生になり、迷いながら大学と理容の専門学校の両方を受験します。

    大学進学は、苦学した父も賛成してくれました。無事合格。

     

    進路が決まり、あとは卒業式を待つばかり…という矢先、明夫さんは交通事故に遭います。 「日曜日だったんです。店で忙しく仕事をしていたわけです。明夫には『今日、アルバイトじゃないの。行く時間が過ぎているよ』なんて言って。

     

    明夫も慌てて家を出て行ったわけです。それが 70 歳くらいのおじいさんが運転してきた車にぶつかって。車の下に身体が入ったまま 30 メートルぐらいひきずられて、背中からお尻まで削りとられちゃった。

    私が店で仕事をしていたら『消防署です。息子さんが事故に遭いました。意識はあります』って電話がかかってきて。

     

    ついさっき出て行ったばかりなのにと思って、一瞬何がなんだかわからなかったの。頭が真っ白になって。それでもお客さんをやっていたから冷静さを保っていたんだけど、手がふるえちゃって仕事ができないの」(祐子さん)

     

     

    九死に一生を得たものの、背中は擦過傷、両足首骨折で 3 カ月寝たきり生活に。

     

     

    一人でトイレに行けないため、おむつでの排泄を経験。

    風呂にも入れない明夫さんは、ある日ベッドで寝たきりのまま、母から頭をシャンプーしてもらいます。

    なんと気持ちの良いこと!人から髪を洗い流してもらうことの心地よさ!その時に受けた感動は、退院してからも忘れることができませんでした。

     

     

     

     

    福祉系の大学に進学したため、明夫さんは福祉関係のサークルやボランティア活動によく関わるようになります。授業の一環で、ある福祉施設に行った時、訪問で入居者の髪を切る人たちを目にしました。「以前から、おやじがやりたいと言っていたのはこれだ!」と父を大学に呼び、大学の先生を交えて訪問理美容について話し合います。

     

     

    この明夫さんの行動が、ロダンの訪問理美容事業の立ち上げに大きな力となりました。「交通事故に遭い、寝たきりの生活をした経験がきっかけになり、自分の中の『なにか』を変えたいと思ったんですよ。だから大学では自分でボランティアサークルを立ちあげて、いろいろな活動を始めました。中越地震のボランティアにも1週間行きましたね」(明夫さん)

     

     

    明夫さんは理容師の通信教育を受けながら大学卒業後、郡山市にある理容所に住み込みで働きます。

     

     

    理容のイロハを現場で学べると期待していたのですが、「見て覚えろ」的な職人気質の修業先は、新人に技術を教えてくれません。仕方なく店の仕事を終えたあと、夜に練習したり、先輩が働いている店に通ったり、年下でも、仕事の上では大先輩に「教えてください」と頭を下げたりしながら、一つ一つ技術を身につけていきました。

     

     

    この時の経験が後に「理美容業界の人材育成」の必要性に目を向けるきっかけとなります。

     

     

    学生時代に大学の教授と父を交えて家業について話し合ったことも、のちの明夫さんの考えに強い影響を及ぼしました。

    平成 21 年(2009 年)京都で開催された第 33 回全国理容連合会・メッセージ全国大会で明夫さんは「理容師になって社会に貢献したい」と発表し、3位の成績を修めます。この時に交流した関西の理容師との縁が、のちに起きた東日本大震災の時の救援物資活動へとつながるのですから、不思議な巡り合わせです。

     

     

     

     

     

     

    郡山市で4年修業し、理容師の免許を取得したのち上京。夜間の美容学校に通いながら神楽坂にある美容室に就職し、美容師の技術も学びました。

     

    上京後も郡山時代と同様に最新の美容技術を追い、いろいろな店に通い、優れた技術の人に会うとお金を払って教えてもらうなど、たくさんの練習を積み重ね、努力しました。そして勤務先の美容室ではオーナーからマーケティングなどの経営ノウハウを学びました。「東京の方が刺激的でおもしろい」と、いわき以外の土地で自分の店を持つことを考えながら仕事をしていた。そこにまさかの父の病。いわきに戻り、実家を継ぐのか。それとも都内で働き続けるのか。明夫さんは悩みました。

     

     

    「父親と家業の話をするたびに喧嘩になっていましたね」(明夫さん)

     

     

     

     

     

    平成 26 年(2014年) にロダン店舗を改装する際、明夫さんはバリアフリーのフロアにしたり、身体が不自由な人のための設備を取り入れたりして、店に来るお客さんが使いやすいような提案をしました。

     

     

     

     

     

    しかし、それは明夫さん以外の人が、店を経営するという前提での提案でした。「違うだろ。お前が店を継ぐんだろう」息子に店を早く継いでもらいたい英治さんは、そのたびに息子を説得します。そもそも店を改装した理由も「明夫さんに早く戻ってきてほしかった」からでした。 祐子さん自身は、店舗改装に乗り気ではありませんでした。

     

    今まで夫婦で頑張ってきた。それこそ寝る間も惜しんで働いた。また頑張れば、頑張っただけお客さんが来てくれた時代だった。

     

    でもこれからは違う。

    少子高齢化と価格競争の中で先行きが不透明なこともわかっていた。ならば東京で頑張っている息子に、無理にいわきに戻ってもらうより、今まで店に来てくれた常連客さんの髪をやりながら、のんびり商売を続けるのもいいかなぁと思っていたからです。もちろんそれだけではありません。東京に出て、勉強しながら頑張っている明夫さん。息子には、息子なりの夢が、人生がある。「息子の思う道を進んでほしい」という母の気持ちがありました。

     

     

    だから夫には言えなかったけれど従業員には「明夫は店に帰ってこなくてもいい」と言っていたのです。交通事故がきっかけで、明夫さんが「理美容師になる」と決めた時にも、祐子さんは明夫さんに言っていました。「お母さんは無理矢理おまえに『店をやれ』とは言ってないよ。だから『俺はやりたくなかったのに』ということだけは言わないでね」と。

     

     

    店の運営をめぐり、親子の間で価値感の違いによる喧嘩が絶えませんでした。たとえば店の案内チラシを作るとすると、英治さんは「メニューの種類と価格がわかるチラシを、できるだけ費用をかけずに作りたい」と言います。一方「多少費用がかかっても、クオリティーの高い内容でロダンの経営方針やお客さまに対する姿勢を伝えたい」と思う息子。世代の差、時代の違いと言ってしまえば簡単ですが、経営に関する考え方の違いは大きかったと明夫さんは言います。

     

     

    「この人と一緒に店を経営するなんて、 絶対できないから(いわきには)戻らない」(明夫さん)

     

     

    平成 28 年(2016 年)は明夫さんにとって、父と話し合うたびに喧嘩で終わり「絶対帰らないから」と父に宣言した年でした。その様子を美容師としてロダンを手伝っていた姉、橋詰光子さんは語ります。「弟の『現代』と父の『昔』。根本的なものは一緒なのかもしれないけれど、どちらの思いも私はわかっていたから、二人の考えを融合させていったら、絶対良いものになるんだけどなあと思っていました」と。

     

     

    店の経営を巡って父と弟、両方から話を聞いていた光子さんは「明夫は本当に、こっちに戻ってくるつもりかな。いつ戻ってくるんだろう」と父から聞かれ「私に聞いてもわからない。明夫に聞いてよ」と答えると「俺の電話には出ないんだよ」とこぼされたこともあったとか。光子さん自身は理美容室を経営し、店でお客さんと接する両親を見ていて、小さい頃から親のことを「すごいな」と思いながら育ちました。ですから父と弟の仲が修復できず、もしも明夫さんがいわきに戻らなかったら「自分が継がなければいけないのかな」と思っていました。ただ「店の経営までできるかな」と不安でした。

     

     

    一度は「いわきには戻らない」と啖呵を切った明夫さん。

     

     

    父、英治さんが倒れた知らせを聞き、心が揺れ動きます。「本当は東京で理美容師の仕事を続けたい。いつかは店を持ちたいけれど、それはロダンではない」と、今までは自分のことだけしか考えていませんでした。

     

     

    しかし「待てよ」と。

     

     

    ロダンで働いてくれている従業員さんの生活はどうするんだ」次に明夫さんがとった行動は病床の父親に自分の考えを告げることでした。

     

     

    お父さんの意識があるうちに、言っておきたいことがある。これから先、お父さんに何かあったら、お父さんだけではなくて、みんなの人生がかかっているから」と。

     

     

     

     

    第2回目 完

     

     

     

     

     

    次回  第3回目【10月10日更新予定】

    『親の仕事を継ぐということ。二代目が思うこと』